■時   期 :  1998年7月18〜19日
■地   図 :  尾鈴山・尾八重
■メンバー  :  羽峡、天唐渓遊、沢グルメ

■この先もまだまだこの谷は長いが、これで撤退・・もう充分だった。限界だったと言った方がいいかな。
これからあの降りてきた急斜面を登り返すのかと思ったらゾッとしたが、この時点では諦めていた。
深く切り立った矢櫃谷・・・いつか詰めあがって頂を踏む日が来る。
きっと・・・!!

●魚止滝・・・雨も止まずここまでで中退●

■天唐さんも振っているが、ザックが
重たく手が痺れて、中々思うように振れ
ないようだ。雨脚は次第に強くなって
いった・・・また、ヒルのお出ましか・・

■魚はよく見える。感触もいいが・・・

■腹側に飛斑の無いヤマメだ。この谷の
ヤマメの特徴だろうか。

■真夏でもあり気温は高い。ヤマメ達の活性も
いまひとつのようだった。羽峡さんテンカラ振る。

■相変わらずの曇り小雨模様。今日は竿を出して
みるか♪

●二日目朝、タープ撤収。●

〜夜中まで語り明かし、杯を傾けこの場所に来れた事に深謝した。深夜 轟音と火花と共に
 数回の落石があった・・・深い深い谷である。 就寝中 羽峡さんの耳にヒルが取り付いて
 ゆったりと血を吸っていたらしい。実に執念深い奴等だが、今夜は許してやろう・・・
 少しばかりの献血と引換に、かけがえのない何かを手に入れたような気がするから。〜

●矢櫃の神はかけがえのない者を与えてくれた●

■これから先、こんな永い付き合いになろうとは・・
この日の夜が全てだった。沢で過ごす貴重な時間
は、身に浸み込んだ。

■ヒル退治も終わって、ネグラも拵えた所で
一息・・・
焚き火さえ熾せばヒルも来まい。
矢櫃の夜は更けて行く。

●流木を集めて焚き火の準備だ●

■夕暮れも近くなってきた、取敢えず野営の準備だ。
最初はブッシュの中にシートを張ったが、上から下から
「山ヒル」がたかって来た!!!
天唐さんは手首と腰のあたりに計3匹、羽峡さんも

あちこちから ヒルを払っている。敵は容赦なく足元
からゴソゴソと這い上がってくる。 撤収ぅ〜!

河原に異動してタープを張り直す。雨模様だったが
増水の心配よりも、山ヒルの吸血行為の方が
やっかいだ・・

●イワタバコと解ったのは随分と後になってからだ●

■当然この頃は花の名前もわかりゃしない。
即興で『岩スミレ』と名付けたがなかなか雰囲気
が出ててまんざらでも無く、悦に入った・・・

■適当に見当をつけた辺りから獣道とも踏跡
つかぬ道を右に左にと彷徨いながら一時間以上
かけてようやく谷底へ・・・降り立った谷は急峻!
両岸深く切り立っていて上部が見えないが、
沢すじは意外と広い。

■矢櫃林道を一時間も歩いただろうか、ちょっとした
広場から、矢櫃谷の全貌が姿を現した。奥に見える
のが尾鈴山から波及する尾根なのか・・・

■3日分の食料と装備を整えるが、奥の75Lザック
に入りきれないくらいにパンパンだ。
その援軍は手前の40Lザックと、中ほどのデイバック
だった・・

福岡からのアプローチはとても長い道のりで、この谷の玄関口になる松尾ダムが見えてきた
辺り、塊所の集落が今回の出発点である。矢櫃林道のゲートは開いていたが、いつ閉まるとも
わからない。今回の予定は出発の時間も遅いが、今回の予定は2泊3日だ、その3日分の食料、
とアルコール類をほぼ1人の男が用意し、担ぐはめになろうとは・・ゲート入り口で身支度を整え
谷への下降点を探してひたすら歩く事にしよう。
 思い出の谷がある、記憶に深く残った山もある、森の精霊の声が聞こえた気がした事もあった・・
その全ての源、己の原点とも言える川、それがこの矢櫃谷である。考えてみれば私の様な釣り人
風情の手に負える谷ではない事も薄々感じてはいた。が、なぜかこの深く切り立った谷底に降り
立ってみて,願わくば尾鈴の頂きを踏みたいと思ったのだ。矢櫃の神々はかくも優しく、正面から
自然の厳しさを諭してくれた。 ・・・ 『いつか登らせてやる』・・と。

(1998年7月18〜19日)

小丸川水系・矢櫃谷


(1998年7月18〜19日)

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