■2日目も雲ひとつ無い晴天! 男性的な中峰の
山頂目差していざ、出発!
■盟主 ”天王峰”(チョナンボン)が見えてきた!登山者が
沢山いるようだ。
■中峰(チュンボン)を越え、智異山の盟主”天王峰”目差す。
■天王峰(チョナンボン)1915m山頂。チャルオップ(左)と
黄(ファン)さん。
■頼もしいパクテジャン(右)と、健脚のファンさん(中央)
気さくないいヤツだ。 盟主チョナンボンンの展望を
しばし愉しみ、出発。 先はまだまだ長い!
■2日目朝、今日も雲ひとつ無い快晴だ。スープのみ程の軽い朝食を済ませてテント撤収する。今日は主稜線を
西のはずれである”ビョンサゴル渓谷”辺りまで進む予定だ。この二日間で 33km程の道のりを縦走すると言う。
■チョナンボンから下りになる。
■縦走路沿いに沢山咲いているツツジ。色や形はアケボノ
ツツジに似ているが、木と葉が全く違う。綺麗なツツジだ。
■これも縦走路沿いに咲いていた。シモツケに似ている。
■帝釈峰山頂 1808m
■立派なチャンドオック避難小屋
■綺麗な花だが・・何でしょうか?どなたか教えて下さい。
■煙霞峰山頂 1730m
■殆ど休憩を取らないパクテジャン。立派に整備された縦走路
をひたすら進む。
■縦走路上ではこのような深い山並みを借景に快適に歩ける。
■チョッテボン山頂 1703m
■遠くに山小屋が見える。
■今朝から5時間ほど歩きっぱなしで、意識朦朧
ボロボロ状態のチャルオップ♪
■遠景の峰は天王峰(チョナンボン)。
もうだうぶ歩いてきた。確かに神々しく
益荒男ぶりの堂々たる山容だ!
■とても立派に整備された セソク避難小屋。トイレも
綺麗で水場も近い。ここで小休止した。
■白骨林が広がる高原に出た。ここが白骨林になった
理由を説明してくれたが、よく理解できなかった・・・
■この黄色い花は、この地域特有の貴重種らしい。
説明の看板が立ててあった。
■深く刻まれた渓谷も美しいだろう。
■見渡す限りどこまでも山々が続く。
■ツツジが咲きみがれる縦走路。
■ナラの木茂る多快適な縦走路。本当によく整備されている。
■背景の山がチョナンボン。 もうだいぶ遠くまで縦走してきた。祖母から傾を見るくらいだろうか・・・
■元気を取り戻したチング。
■霊神峰(ヨンシンボン)山頂 1651m
■深い谷。原生林の緑の奥から沢の音が響いてくる。
■朝 行動開始から8時間後、ようやく昼飯休憩だ。
韓国のインスタントラーメン「辛ラーメン」にアルファー米
を混ぜた、ごった煮ラーメン。
■ここは煙霞泉山荘と言う避難小屋。小屋の表に冷たい
湧き水が涌いていて、そこにビールが冷やしてある!
「メクチュ ジュセヨ(ビールを下さい)」 と言おうとした私を
パクテジャンが遮った。・・・ どうもここでのビール販売には
問題があるらしく、登山客は暗黙の了解で「メクチュ」と言う
言葉を口に出さないで、身振り手振りで店番に伝えている
ようだ。 しかし、ここの「メクチュ」は 五臓六腑に沁みた。
今回はこの小屋の裏手から下山する事になった。
■一面のスズ竹に覆われた中に原生林が映える・・・・
九州でも祖母山系や脊梁山地でも見かける、笹薮の
風景・・・!!でも何かが違う・・・!
■ここも笹薮の海。しかしそに極相林を描いているのは・・・!
■この圧倒されるようなナラの大木を見上げる時、この2日間智異山を歩いていて、何か腑に落ちない
不思議な気持ちが頭の片隅にあった事をあらためて思い起こしたのだ・・・ それは・・・
●智異山に来て人里はなれた「セジェ」の集落から取り付いて、伐採も植林も無い見事な原生林に、豊かな
植生・・・オオヤマレンゲ、カタクリ、蘭の仲間など日本と良く似た風景と、まったく手付かずの太古の森に感動
をしながら歩いてきたが、何か気になる事が頭から離れなかった。 それは「ブナ」の木が無いのである。
広い空間を持つ樹林帯や、熊笹の間に乱立しているのはいつもの感覚であればブナである筈なのだが、ここでは
それが全て 「楢(ナラ)の木」なのである。緯度も九州より高いこの地であり、しかも他の植生は日本のそれと極似
しているのに、なぜだろうか。以前にこんな話しを聞いたこ事がある。
今から、1万2千年〜1万年前の日本の地層に含まれている花粉や木の化石などを調べてみると、その当時日本
の国土を支配し、広く分布していた大多数の樹木はナラだった。その時代の日本列島は 北海道と今のロシア側の
大陸が陸続きになっていて、九州と朝鮮半島の間が開いている状態で・日本海は大きな入り江になっていたわけだ。
それが 8000年程前に地殻変動で北海道が大陸から離れ、九州方面から日本海に暖流が流れ込んできた。
それが対馬海流である。 温かい海水の対馬海流は日本海を北上し関東〜東北に差し掛かったとき、大陸からの
偏西風によって冷やされ雨をもらたし、寒期には日本を豪雪地帯へと様変わりさせてしまったのである。
弾力性に欠けるナラの木は、豪雪の雪の重みに耐え切れず折れ果ててしまい、そのナラに代わって台地を支配し始
めたのがブナの木であった。ナラに比べて弾力性に富むブナは雪の重みにも枝を上手く撓らせ、積雪期を耐え忍んだ
のである。 現に8000年前より新しい地層にはブナが極相林を描いたであろう証の花粉が多く検出されている。
九州から僅か 200km程しか離れていない韓国なのだが、その間に流れる海流の影響で大きな違いが出来たの
であろうか・・・・ 智異山の太古の森はそんな空想を掻き立てた。
■2泊目の民宿。
■約3時間の下りでヨリョンテの集落に降りてきた。
■天然記念物の千年松の大木。